2015/04/30

西村京太郎ミステリー ブルートレイン殺人事件

【発売】アイレム
【開発】タムテックス
【発売日】1989年1月20日
【定価】6,500円
【媒体】ファミコン用カートリッジ
【容量】3M
【ジャンル】アドベンチャー




追悼、亀井刑事


【ストーリー】
 ブルートレインの車内で起こった私立探偵の他殺事件を調べるうちに、3人の腕利き刑事達は次々と新しい難事件にぶつかる。足とカンを頼りに地道な聞き込みが続けられたが、現れた容疑者達にはいずれも完璧なアリバイがあった…。


【概要】
 ミステリー作家の西村京太郎氏が自身の人気シリーズ『十津川警部シリーズ』より脚本を書き下ろしたアドベンチャーゲーム。テレビの2時間ドラマでは30年以上続く人気シリーズで、特にテレビ朝日系列で愛川欽也氏が主演する『西村京太郎トラベルミステリー』と、TBS系列で渡瀬恒彦氏が主演の『西村京太郎サスペンス・十津川警部シリーズ』は現在も新作が放送されている。本作では警視庁捜査一課の警部「十津川省三」、十津川の相棒「亀井定雄」、部下の「西本明」の3刑事をザッピングしながら捜査を進める。キャラクターのグラフィックがテレビ朝日版でそれぞれの役を演じた三橋達也氏、愛川欽也氏になんとなく似せている(西本は峰竜太みたいな顔になってるけど)。


【ゲームシステム】
 コマンド選択式のアドベンチャーゲーム。十津川警部は山口県警からの依頼で、ブルートレイン「はやぶさ」の個室で起こった殺人事件の身元調査を亀井刑事に指示。その翌日、多摩川の河川敷で刺殺体が発見、これは西本刑事に任せる。本作の最大の特徴は、別々の事件を担当する刑事をプレイヤーがザッピングしながら進めるところにある…と書くと面倒臭そうだが、そんな事は全然なくて、どちらかの捜査が行き詰った時点で「ひとかえる」を選んでもう一方の捜査を進めると、行き詰った方の捜査にも何かしら影響が及んで進展するっつー寸法。基本的には亀井刑事がメイン、西本刑事がサブ、十津川警部の捜査はオマケ程度。


 ザッピングでの混乱防止策として、要所要所でメモを取る事ができる。これを見て2つの事件の状況を整理するのだ。両刑事は十津川警部を通してもう一方の事件の状況も自動的に把握しているので、操る人物を変えたからといってプレイヤーが二度手間のストレスを感じる事はない。ゲームオーバーはないので、それこそ2時間ドラマを見る感覚でプレイできる。また、指紋を採って照合する場面がいくつかあるのも特徴。もちろん、トラベルミステリーだけあって時刻表を使ったトリックもあるが、ここもそんなに面倒ではないので(ちょっと意地悪だけど)、数字が並ぶと目を背けたくなる僕でもできました。


【総評】
 推理モノのアドベンチャーゲーム全盛期に発売されただけあり、ミステリー作家の巨匠による脚本(ゲーム内でも本人役で登場する)、ザッピングによる複数の主人公、指紋照合といった特徴を盛り込んだなかなかの意欲作。PCエンジンで発売された『西村京太郎ミステリー 北斗星の女』(ナグザット)は気になってたんだけど、本作は当時ノーチェックだったんだよなー。ドラマも再放送でやってれば横目で時々見てた程度だけど、先日のキンキンの訃報で「そう言や亀井刑事役だったな」と思い出し、Twitterのフォロワーさんにいただいていたので今回初めてプレイしたのでした。そして、いいタイミングでCS放送にてガンガン再放送がされているドラマにどっぷりハマってしまい、テレビ朝日版は64作中10作ほど(三橋&愛川コンビのみ)、TBS版は54作中50作も観てしまった。本作は物語の舞台も大阪、広島、山口と西日本を中心にしているのがトラベルミステリーっぽい。一時期住んでいたので、下関駅が出てきたのはちょっと嬉しかったな。駅長室が木造だけど(笑)。

 一方、ストーリーはやや物足りない感じ。あっと驚くドンデン返しなどは特になく、悪そうな奴はだいたい悪人である。もっとマニアックな時刻表トリックや列車の話があると思ったんだけど、そうでもなかったし、エンディングもあっさりし過ぎだ。まあ、本作はよくも悪くも2時間ドラマのノリで遊ぶのがちょうどいいのかもしれない。


 手に汗握るアクションや息をもつかせぬサスペンスはない変わりに、未成年のアイドル歌手の私服がノーブラでポッチが描かれてたり(ツンツンできるヨ!)、そのアイドル歌手が襲われる場面でパンツが丸見えだったり(黄色だったヨ!)、口パク&瞬きを除けばほぼ唯一のアニメーションがこの場面で足をバタバタさせるとこだったりと、今のレーティングに照らせば完全にアウトで怒られそうなちょっと歪んだお色気はあるので安心しよう!




(C)1988 IREM CORP.

2015/04/29

グーニーズ

 
【発売】コナミ
【開発】コナミ
【発売日】1986年2月26日
【定価】4,900円
【媒体】ファミコン用カートリッジ
【容量】384Kbit
【ジャンル】アクション




キャラクターゲームの成功例


【ストーリー】 
 アメリカのグーンダックスという静かな港町。ここに自分達の事を「グーニーズ」と呼ぶ遊び仲間がいた。ある日、偶然にグーニーズは伝説の海賊「片目のウィリー」が印した宝の地図を見つけた。さっそく宝捜しへと出かけたグーニーズだが、海賊の亡霊や悪党「フラテッリー・ギャング」の一味に捕えられ、岩牢に閉じ込められてしまった。そこで君は捕えられたグーニーズを助けるため、危険な冒険に出発する。


【概要】
 スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮、リチャード・ドナー監督の映画『グーニーズ』を原作としたアクションゲーム。映画公開の85年末にコナミ(現コナミデジタルエンタテインメント)からまずMSX版が発売。これをベースにしつつも大幅に内容を変更してブラッシュアップしたのが本作である。BGMにはシンディ・ローパーの歌う映画の主題歌「The Goonies 'R' Good Enough」が使用されている。


【ゲームシステム】
 サイドビュー形式のアクションゲーム。全6ステージ。主人公「マイキー」を操り、ギャング一味にさらわれたグーニーズの仲間5人と女の子を助け出すのが目的。基本攻撃はキックのみで、敵を倒すと現れる爆弾でステージ内にある岩牢の扉を破壊し、その中に幽閉されている仲間&1ステージ内にある3つの鍵を探すのだ。中には飛び道具のパチンコやライフ回復のアイテムが隠されている事もある。鍵さえ集めて出口の扉に辿り着けば一応ステージクリアとはなるが、仲間が1人でも欠けていると女の子がいるステージ6へは進めず、再びステージ1へ戻されてしまうので注意。

 とは言っても、意地悪な仕掛けや難しいテクニックが必要とされるわけではなく、残り時間さえ気をつけてマップ内にある岩牢の扉をくまなく破壊していけばいい。ライフ制なのでそう簡単にやられる事もなく(爆弾の爆風に当たると一発アウト)、気楽に遊べる。宝探しが目的の原作に合わせ、隠れキャラや隠しアイテムも豊富だ。もちろん見つけなくてもクリアはできるが、中には便利なアイテムもあるので、いろんな場所でテキトーにキックしたりしゃがんだりすると吉。ゲームオーバーになった際には、タイトル画面に戻される前にコントローラーの上+Aボタンを押してスタートすれば、ゲームオーバー直前の状態から再スタートできるぞ。


【総評】
 後にも先にも粗製乱造のイメージが付きまとうキャラクターゲームの中で、本作は簡単過ぎず難し過ぎない絶妙な難易度と、ストレスのない操作性、軽妙なBGMで万人に勧められるアクションゲームに仕上がった。往々にして昔も今もキャラクターゲームの駄作が多い理由は、そのキャラクターに依存し過ぎてゲームとして出来損ないになるか、原作を無視し過ぎてキャラクター性が希薄になりファンからヒンシュクを買うかのどちらかのケースが多い。本作は「宝探し」という原作の本筋を避け、「仲間探し」に目的を変更したが、これが功を奏した。アクションゲーム単体としての完成度を十分に高めつつ、舞台設定や主題歌をアレンジしたBGMなどで『グーニーズ』らしさを加えた。この技量に裏付けされたバランスとセンスはさすがコナミと言えよう。今でこそもう心底アレな感じになってしまったが、昔のコナミはそれはもうすごかったのだ。結果として本作はこの時期のアクションゲームとしては頭ひとつ抜けた完成度となった。

 本作は88年にディスクシステムの書き換え専用として移植されたものの、短期間で終了となり、現在のダウンロード販売用などには移植されていない。これは原作の配給元との権利が切れているためだ。87年に発売された続編『グーニーズ2-フラッテリー最後の挑戦-』も同様。マイキーはコナミのキャラクターがわらわら登場する『コナミワイワイワールド』の主人公キャラの1人としても登場したが、こちらもモバイル版への移植は自社キャラクターの『バイオミラクルぼくってウパ』に置き換えられている。でも、今でも100円くらいで入手できるのであまり問題ない感じ。慣れれば30分くらいでエンディングに辿り着けるし、気楽に遊べていいゲームですぜ。



(C)Konami 1986
THE GOONIES IS A TRADEMARK OF WARNER BROS.INC. (C)1985 WARNER BROS.INC.ALL RIGHTS RESERVED.

2015/04/28

ギャラガ

【発売】ナムコ
【開発】ナムコ
【発売日】1981年9月(ロケテスト日:1981年7月23日)
【容量】312Kbit(システム基板:Namco Galaga)
【媒体】アーケード
【ジャンル】シューティング
【受賞】2012年:All-TIME 100 Video Games




蛾だからギャラガ


【ストーリー】
 急襲だ!どこからともなく飛来するギャラガ編隊…立て!銀河戦士!


【概要】
 81年にナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)から発売されたシューティングゲーム。79年に発売された『ギャラクシアン』の続編で、『スペースインベーダー』(タイトー)に対抗するために開発された。その人気は5年に渡って続き、84年には同社のファミコン参入ソフト第1弾にもなるなど、ナムコ初期の代表作。12年にアメリカのタイム社が発表した歴史上最も偉大なビデオゲーム100本「All-TIME 100 Video Games」にも選出された。タイトルは「ギャラクシー」+「蛾」」の造語。「続編」と銘打たれながらも発売当時は『ギャラクシアン』との直接的なストーリーはなかったが、後に同社の「UGSF」シリーズに統合され、「ギャラガは人類を脅かす宇宙昆虫軍団の種族」という公式設定が追加された。

 本項では『ナムコミュージアムVOL.1』収録作品として、収録されたオリジナル版(アーケード版)について記述するが、プログラムの処理上、『ナムコミュージアム』収録版では「デュアルファイター」時の当たり判定がアーケード版よりやや小さくなっており、2発の弾の間を敵がすり抜けやすくなっている。


【ゲームシステム】
 固定画面トップビュー形式のシューティングゲーム。自機「ファイター」を左右に操作し、1ステージ中に登場する敵群「ギャラガ」40機全てを倒せばクリア。基本的には『スペースインベーダー』と同じレイアウトだが、本作の特徴は敵の動きにある。「ボス」、「ゴエイ」、「ザコ」の3種類からなるギャラガは、画面の左右&上から隊列を組んで出現し、陣形が整った後に単機突入または編隊ごとの攻撃を仕掛けて来るのだ。



 ステージ2クリア後は3ステージごとに「チャレンジングステージ」が挟まれる。攻撃を一切して来ない敵編隊を倒して得点を稼ぐのだが、高得点が残機アップに直結するため、ここは被弾の心配がない「デュアルファイター」形態で臨み、パーフェクトボーナスを狙いたい。


 ボスはファイターを捕まえようと「トラクタービーム」を放つ。これに触れると、操っていたファイターは敵の捕虜となってしまい、プレイヤーは新たなファイターで戦う事になる。ここでうまくボスを倒せば捕虜機がプレイヤーのファイターと合体し、攻撃力2倍のデュアルファイターになるのだ。ただし、捕虜機を撃ち落した場合は次のステージで鹵獲機となってこちらを攻撃してくる。また、残機がない時にトラクタービームに捕まった場合はそのままゲームオーバーだ。単にファイターが横にくっつくだけで当たり判定の面積も2倍になるため、オールラウンドに通用するわけではないが、チャレンジングステージでは重宝するのだ。


【総評】
 当ブログで採り上げるゲームはたいてい今見ると地味な作品ばかりで、本作も過去の遺物みたいに思う人もいるでしょうけど、いやいやいやいや、よく見なさいよ、ギャラガ達のこの美しい色使いと動きを。ステージ開始時の10秒程度しかないメロディも「スペースシューティング」に相応しい名曲だと思うんですよ。今のスマホゲームなんかにはない1ドット単位まで気を配られた職人技が光りまくりである。いや、別にスマホゲームがどうとかってんじゃなくて、うん、いいんじゃないでしょうかスマホゲーム最高ですよね(鼻をほじりながら)。


 誕生30周年記念として11年に開設された「ギャラガウェブ」では、元々『ギャラクシアン』の基盤を流用して作るはずだったとか、チャレンジングステージは『パックマン』のコーヒーブレイクに感化されながらも偶然のバグから生まれたとか、開発者の横山茂氏(現バンダイナムコスタジオ常務取締役)による当時の開発秘話が読めるので、レトロゲーム大好きっ娘は一読されたし。

 最後に「UGSF」シリーズについて簡単に。これは同社の複数のゲームに散見する架空の地球防衛軍や侵略者を2000年代になって統一した「ナムコのSFサーガ」とでも呼ぶべきもので、90年にアーケードで登場した『ギャラクシアン3』内における「銀河連邦宇宙軍(United Galaxy Space Forece)」が初出。その後、以降に発売されたゲームのみならず、UGSFの設定がなかった89年以前に発売されたゲームもこの設定に組み込まれた。UGSFと敵対する勢力は主に2つで、ひとつは「UIMS(Unknown Intellectual Mechanized Species=ウイムズ)」という意思を持った機械生命体。そしてもうひとつがアリやハチなどと似た社会性を持って宇宙空間を飛び回る獰猛な昆虫軍団「ギャラガ種族」とされたのだ。05年にプレイステーション2で発売された『ナムコクロスカプコン』ではストーリー内でもちっと詳しく説明されているが、詳細についてはUGSFシリーズ公式サイトを参照あれ。このUGSFとUIMSの設定を知った後で07年にニンテンドーDSで発売された『みずいろブラッド』をやると泣けるので、みんなもぜひ『みずいろブラッド』をやろう!←間違った締め方。



Produced by NAMCO LTD. (C)1981 1995 NAMCO LTD.,ALL RIGHTS RESERVED

2015/04/26

ポピュラス


【発売】イマジニア
【開発】インフィニティー
【発売日】1990年12月6日
【定価】8,800円
【媒体】スーパーファミコン用バックアップカートリッジ
【容量】4M
【ジャンル】シミュレーション




見ろ、人がゴミのようだ(違


【ストーリー】
大いなる地に降り立つ二つの種族あり
意思の集合をもって大地を創造せん
空に太陽ひとつ輝くならば
地上に支配者はただ一人
見えざる野心という名の衣をまといしより隙生じ
かくして両者互いに旗を翻す
剣を交えること無数なれど未だ雌雄を分かたず
後世の者、この時代を指して神と悪魔の時代と呼ぶ
…『創世記』序章



【概要】
 89年にイギリスのブルフロッグ社が開発したパソコン用シミュレーションゲーム。プレイヤーは「全能の神」となり、敵対する2つの種族の一方に力を貸して地上世界を統一させるという独創的なシステムにより、世界中で大ヒットした。このスーパーファミコン版は、PC-9801やFM-TOWNS、X68000などで日本語版を制作したインフィニティーが移植を担当。世界観が純和風の「大江戸」、お菓子の国の「ケーキランド」、ファミコンやゲームボーイといった任天堂製ハードを模した「ビットプレーン」などのオリジナル地形が追加されている。全1,000ステージ。


【ゲームシステム】
 すんげえ大雑把に言ってしまえば、壮大な「陣取り合戦」だ。一方の種族に肩入れする神=プレイヤーは、人間が繁栄しやすく土地を開墾するのが主な仕事。窪んだ所は埋め立てて、盛り上がった所は削って整地。そうして平地を大きくすれば、人間はその土地に建物を作る。整地面積が広ければ広いほど建物は大きくなって人も増えるってわけ。敵対するもう一方の種族はコンピューターが神(プレイヤー側から見ると悪魔)として君臨しているので、どちらの勢力が先に繁栄して相手を滅ぼすかで勝敗を決める。まさに神々の戯れですな。


 人間は放っておいても勝手に建物を作って勢力を広げようとする。「敵を見つけたら戦え」とか「味方を見つけたら合体してキングスライムみたく強くなれ」といったいくつかの指示はできるが、プレイヤーが人間を直接操る事はできない。そこで、神という立場を活かして天変地異を起こし、敵の勢力に打撃を与えて間接的に繁栄を助けるのだ。もちろん、敵も同じ事をしてくるので、殺られる前に殺るのが神々の掟である(うそです神様ごめんなさい)。

 人間の発展に寄与すれば自然と「信仰心」が増し、画面右上の「サイコ・フレーム」が上昇。その上がり具合に応じて「地震」、「沼地」、「火山」、「洪水」などの天変地異が使える様になる。逆に敵側から天災を受ければ信仰心が減少し、最悪の場合は開墾さえできなくなる事もある。これらの天災で敵を滅ぼす事も可能だが、本作の真髄は最終的に「ハルマゲドン=最終戦争」の発動だ。これを使用すると、敵味方全ての建物は地上から消えてなくなり、人間だけが残される。そして、残された人間は「合体」を繰り返しながら世界の中心地へ向かい、最後は敵味方それぞれ1対1となって殴り合うのだ。ここで相手を倒せばステージクリアとなる。

 負ければ種が絶たれ、勝ったとしても「そして誰もいなくなった」であり、次のステージでは再び何もないところから人類の繁栄を手助けし、滅ぼす。全1,000ステージという冗談みたいな長さは、人の輪廻転生を表しているのかも。あ、でも、「輪廻転生」って概念はキリスト教にはないんだっけ?いや、宗教の話は深く突っ込むとアレなんでいいや。あと、1ステージずつ順繰りクリアってわけじゃなく、ステージによって数ステージ先に飛ばされる仕組み。


【総評】
 スーパーファミコン発売から約1ヶ月後にリリースされた本作は、当時のいわゆる「洋ゲー」を代表するゲームが日本の家庭用ゲーム機で手軽に遊べる様になった嬉しさがあった(もちろん既にメガドライブとPCエンジンではいくつも移植されてはいたが)。ファミコン市場が飽和状態になっていた事もあり、90年前後からゲーム雑誌でも海外産ゲームの記事が採り上げられる様になった。『シムシティ』(マクシス社)や『ダンジョンマスター』(FTL社)、『レミングス』(シグノシス社)など、後にスーパーファミコンに移植される作品も、初見は全て海の向こうで動くパソコン版の雑誌記事だった。頭のネジが2、3本抜けた様な独創的なゲーム達にちょっとした憧れを抱いていた時期だったなあ。
 
 ただ、いかんせんあっちのゲームは見た目が取っ付きにくい。日本製のゲームはよくも悪くも「ユーザーフレンドリーこそ正義」みたいな感じだけど(今では輪をかけて過保護になってますな)、海外のゲームは「遊びたきゃ自分でなんとかしな。アタシはあんたのママじゃないのよ?」的なスタンス。この『ポピュラス』にしても、レイアウトからしてこれまであまり馴染みのないクォータービューだし、とにかく小難しくて色気もケレン味もない。でも、やっと憧れていた海外のゲームができる期待からどうにかこうにか遊んでみると、海外産ゲームはその取っ付きにくささえ乗り越えれば国産ゲームにはない面白さがある事を教えてくれたのだった。

 この手の海外産ゲームは、得手不得手というよりも、肌に合うか合わないかってのが大きくて、本作に限らず、「すげー面白い!」か「クソつまんねえ!」のどっちかに二分される場合がよくある。でもね、それでいいと思うんですよ、ゲームって。他人やネットの評判で分かった気になるより、とりあえずやってみれ。そういうプレイヤーが増えたから、今や日本のゲームはシリーズ物ばっかの安牌連発でなんともつまんない事になってしまったのだ。ゲームくらいてめえで面白いか面白くないか判断しろっつーの。以上、懐古主義者のタワゴトでした☆でもさ、この頃はまだ一部のパソコン用ゲームが取り上げられるだけで、家庭用ゲームは日本の独壇場だったのに、いつの間にか逆転してしまったのはちょっと寂しいですばい。

 本作は海外での評判やパソコンでの日本語版の人気と、スーパーファミコン本体が発売されてすぐのリリースだった事もあり、約40万本を売り上げた。僕は発売から半年くらいして中古で2,000円くらいで買ったけど、心臓の鼓動音と時折聞こえる風の音以外にBGMがないあの雰囲気がとても好きだ。また、日本語版のバラエティに富んだ追加ステージは、ずいぶん取っ付きやすいイメージになっている。このさすがのアレンジはインフィニティーのセンスと、日本のゲーム会社の面目躍如といったところ。ただ、今改めてやるとマウスで遊びたいですな。当時はパソコンなんて持ってなかったんでそんな事思わなかったけど、コントローラーでクォータービューのアイコン群を操作するのはなかなかもどかしい。

 以降も移植作や続編が多くのプラットフォームで発売されているが、本作は現在でも入手しやすく、カセットのみなら100円以下でも売っている。でも、取扱説明書がないとアイコン群の意味やボタンのショートカットがさっぱり分からないと思うので、なるべく説明書付きを買おう。それでも400円くらいで足りるはず。



(C)1990 IMAGINEER CO.,LTD. (C)1989 / 1990 Electronic Arts / Original by Bullfrog / Japanese Version by Infinity

2015/04/24

忍者じゃじゃ丸くん

【発売】ジャレコ
【開発】トーセ
【発売日】1985年11月15日
【定価】4,500円
【媒体】ファミコン用カートリッジ
【容量】256Kbit
【ジャンル】アクション



UPLとジャレコ(下)


【ストーリー】
 裏切者のなまず太夫が我らのアイドル・さくら姫をさらってしまった!兄・忍者くんは修行の旅。留守を預かる弟のじゃじゃ丸くんが1人でさくら姫を助けに行く事になった。兄者の教えを受け、今や一、二の忍法の腕を競うじゃじゃ丸。果たしてじゃじゃ丸くんは、妖怪達を倒して悪のなまず太夫からさくら姫を救い出せるのだろうか!


【概要】
 前作『忍者くん 魔城の冒険』から派生した横スクロール型アクションゲーム。前作はUPLから発売されたアーケード版の移植だったが、今作はジャレコのオリジナル作。前作の基本システムを踏襲しつつ、多彩な敵キャラクターやアイテムによるパワーアップ、忍法を使って召還する巨大蛙「ガマパックン」の登場など、オリジナル版の世界観を更に膨らませつつユーザー層の間口を広げた新要素により、約100万本を売り上げた。全21ステージ。


【ゲームシステム】
 1ステージに登場する敵キャラクター8体を制限時間内に全滅させればクリアという基本部分は前作をそのまま継承。3面ごとに敵キャラクターが入れ替わり、1体のみ中ボス的存在で登場するキャラクターが以降のステージではザコキャラに置き換わるという部分も同じだ。画面構成は縦スクロールから4階構造の横スクロールに変更され、一部の天井をジャンプで壊すとアイテムが出現する様になった。この画面構成と、アイテムを発見する楽しみにより、独特のモッサリしたジャンプに対してストレスをあまり感じずにプレイできる様になった。


 飛距離の短い手裏剣と、相手に体当たりを喰らわせて気絶させるというアクションは前作同様だが、全体の難易度は低くなっているため、ライトユーザーにもとっつきやすくなった。ステージ13以降に登場する「ピン坊」&ステージ16以降に登場の「カクタン」は一度気絶させてからでないと手裏剣が効かない強敵だが、救済策はある。アイテムを3種類集めると忍法でガマパックンが呼び出され、ステージ内の全ての敵を食べ尽くす事ができるのだ。呼び出すステージのタイミングさえ図れば、難敵揃いの後半戦もある程度は力技でクリアする事ができるのだ。


【総評】
 どこか哀愁を漂わせる前作とは異なり、賑やかな画面に愛らしいキャラクター(「おゆき」がかわいい)、耳に残る軽快なBGMなど、短期間で見事にオリジナル版を昇華させた本作は、2ヶ月前に発売された『スーパーマリオブラザーズ』(任天堂)の大ヒットによるファミコンブームと、前月から始まったテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』による妖怪ブームという2つの流れにうまく乗った事もあり、ミリオンセラーを達成した。「養子」として買い取った「じゃじゃ丸くん」は、デビュー作でジャレコを代表するキャラクターとなり、オリジナル版の『忍者くん』さえジャレコ製と思うユーザーもいるほどだった。

 だが、じゃじゃ丸とジャレコはこのデビュー作以降、迷走し続ける事となる。翌86年には『じゃじゃ丸の大冒険』がリリース。『忍者くん』から受け継いだ基本システムを捨て、『スーパーマリオ』タイプのありがちな横スクロール型アクションゲームに、本作で助け出した「さくら姫」が実は偽者だったという文字通り取って付けたストーリーが添えられた凡庸なキャラクターゲームだった。基本システムのみならず、UPLと約束した「忍者くんの弟」という設定もこの作品以降葬り去られた。ジャレコが志を捨てた作品と言ってもいいだろう。

 一方のUPLは、この『じゃじゃ丸』シリーズを「自分達の預かり知らぬもの」として、87年にアーケードで『忍者くん 阿修羅ノ章』を発売。『忍者くん』を正統進化させつつ、「産みの親」としての志が随所に見られる奥深いアクションゲームに仕上げた。翌88年には初めて自社ブランドでファミコン版も発売。だが、その難易度の高さは『じゃじゃ丸』シリーズのライトユーザー層には合わず、販売本数の少なさも災いしてか、「隠れた名作」としての評価に留まったまま、4年後の92年に倒産してしまう。

 UPLの倒産で権利による縛りが事実上なくなったジャレコは、その後、キャラクターデザインを無残なほどマンガチックに変えたRPGや、シリアスタッチへ180度方針転換したアクションRPG、再びライトユーザー層を狙って全世界から宇宙にまで無意味に世界観を広げたアクションゲームなど、節操なく駄作を輩出し続けた。ジャレコとしては任天堂の「マリオ」の様な看板キャラクターに育てたかったのであろう事は容易に想像がつくが、「忍者」というキャラクターにそこまで汎用性の高さはない。新作がリリースされる度に、じゃじゃ丸は個性を失っていった。ジャレコはあまりにもじゃじゃ丸に固執し過ぎた気がするのだ。

 ファミコン初期サードパーティ6社(ハドソン、ナムコ、ジャレコ、タイトー、カプコン、コナミ)の中でジャレコが輝いていた時期は、ごくごく僅かな期間だ。それは一連の『じゃじゃ丸』シリーズを見れば分かる様に、キャラクターを生み出す力も、大事に育てる土壌もなく、ゲームメーカーとしての志さえ見失っていたからではないか。そうさせたのは本作のミリオンセラーにあったのかもしれない。いずれにせよ、独創的でどことなくオシャレな作風は、本作以降急速に色褪せていった。結局、「ジャレコ」というブランドがゲームファンの中で確立されたのは、93年に登場する『アイドル雀士スーチーパイ』シリーズまで待たなければならなかった。

 ジャレコの迷走は更に続く。00年に香港の通信会社に買収され、ゲーム開発部門が大幅に縮小。一時は不動産業界や証券業界に参入するなどして、06年にジャレコ・ホールディングスへと社名を変えるが経営改善の見込みは立たず、09年に今度は韓国のオンラインゲーム会社の子会社となる。その会社も総額22億円以上という負債を残して14年に破産。辛うじてゲーム開発部門だけは残っているらしいが、これまでに発売した全ての作品の権利をハムスターへ譲渡し、その幕を閉じたのだった。

 コアユーザーの心を掴んだ個性的な兄「忍者くん」と、ライトユーザーの支持を受けミリオンセラーのデビューを飾った弟の「じゃじゃ丸くん」。UPLとジャレコの両社がなくなった今となっては、どちらの「親」に育てられた方がよかったのか分からないが、こうして今も時折遊ばれる事が、兄弟にとっては一番幸せなのかもしれない。



(C)1985 JALECO LTD.

2015/04/21

忍者くん 魔城の冒険

【発売】ジャレコ
【開発】トーセ
【発売日】1985年5月10日
【定価】4,500円
【媒体】ファミコン用カートリッジ
【容量】192Kbit
【ジャンル】アクション




UPLとジャレコ(上)


【概要】
 オリジナル版は84年にUPLが開発したアーケード版で、翌85年にジャレコよりファミコンに移植されたアクションゲーム。プレイヤーは「忍者くん」を操り、岩山や天守閣などの足場を上下に移動しながら敵と戦うが、特にストーリーはない。


【ゲームシステム】
 サイドビュー形式のアクションゲーム。基本動作は左右の移動、左右のジャンプor降下、手裏剣を投げるというシンプルな操作方法だが、忍者くんは忍者のくせに真上にはジャンプできず、加えてジャンプの幅も大きい。また、上ボタンとジャンプボタンを同時に押すと下段へ降下する。通常のアクションゲームにおけるジャンプとは正反対の動きに加え、忍者にあるまじきモッサリした動作に初見ではにんともかんともと思うかもしれない。まずはこのクセのあるジャンプを会得しない事には始まらないでござるよ。1ステージに登場する敵キャラクターは8体で、制限時間内に全滅させればクリアとなる。全32ステージ。

 忍者の武器は当然手裏剣だが、飛距離が短く、連射もできない。敵も手裏剣や鎌などの飛び道具で攻撃してくるため、正面から撃ち合っても相手の飛び道具とぶつかって相殺されてしまい、プレイヤーが不利となる。そこで、うまくジャンプを使ってまずは敵に体当たりを喰らわすでござる。飛び道具に当たると一発アウトだが、敵の体に触れてもダメージは受けず、相手がビコビコと2秒ほど気絶する。この隙に手裏剣を当てれば比較的簡単に倒せる…と言いたいところだが、これらの条件はプレイヤー側も同じであるばかりか、敵は複数連なっている場合も多々あるので、ひとたびジェットストリームアタックを喰らえば終わりである。にんともかんとも。

 倒した敵は画面最下部まで落下するのだが、この時に更に手裏剣を当てるとボーナス点が入る。なにせ開始時の残機は3、パワーアップもなければライフもない一発即死のゲーム。長丁場を戦い抜くには残機を増やすしかなく、そのためにはとにかく高得点を狙う以外にない。忍者の世界とは屍にさえ容赦しない非情なのでごわす←キャラ間違い。また、無駄な手裏剣をひとつも投げない=8発でクリアした場合もボーナス点が入る他、敵を倒した直後に一定時間現れる「巻物」を取ったり、残り時間が80秒を切ると落ちてくる「魔法の玉」を集めてボーナスステージへ行くなど、得点を稼ぐ方法はいくつもあるが、その全てにおいてプレイヤーには一定以上の技量が求められるのだ。


【総評】
 本作では敵キャラクターに複数の行動パターンが設定されているらしく、いわゆる「覚えゲー」的な攻略パターンが通用しない。低年齢層向けのパッケージイラストやかわいらしい見た目のゲーム画面とは裏腹に、実際には相当なテクニックが要求されるゲームなのだ。アーケード版と比べて低い評価を目にするこのファミコン版だが、クセのある基本動作をプレイヤーの腕一本で乗り切るテクニック重視のアクションゲームとして、本作はもうちっと評価を見直されてもいいのではなかろーか。

 さて、ここからはひゃくぱー主観となるので、「オレは三度のメシよりジャレコが好きで好きでどうしようもにくらいジャレコ命だぜーっ!」というジャレコファンの御仁には先に謝っておきます。ごめんなさい。85年にハドソン(現コナミデジタルエンタテインメント)、ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)に続いてファミコンへ参入したジャレコだが、初期サードパーティ6社(ハドソン、ナムコ、ジャレコ、タイトー、カプコン、コナミ)の中ではいささかブランド力に欠けていた。同年2月に『エクセリオン』、翌3月には『フォーメーションZ』を発売するが、共にマニアックでファミコンのユーザー層にはイマイチ引きが弱かった。

 一方、UPLは栃木県のソフトハウスで、本社には70名ほどが在籍していたらしいが、実質的な開発は東京支店の10名弱で行われていたそうだ。個人的には、一般的な知名度は低いものの高い実力を持つソフトハウスという印象がある。ブランド力の向上と新作リリースを急ぐジャレコの目に『忍者くん』がどういう経緯で止まったかは不明だが、比較的早くファミコンへ移植したジャレコにとって相応の費用対効果があったのは確かだろう。正確な販売本数こそ公表されていないが、初期サードパーティの特権で、生産数の制限がなく、シールやメンコといったグッズが駄菓子屋でさえ売っていた。二兎追うジャレコは二兎とも手にしたのだ。

 本作の売り上げが相当よかったのか、これで気をよくしたジャレコは、UPLが産んだ本作のキャラクター「忍者くん」を自社キャラクターとして養子にしたいと言い出した。結果的にはUPL側が一部条件付きで「忍者くん」のキャラクター権利を売却。その条件とは、見た目が同じでも「忍者くんの弟」という設定にする事。こうして本作から半年後にジャレコから発売されたのが『忍者じゃじゃ丸くん』であり、以降ジャンルやプラットフォームを問わず主にライトユーザー向けにシリーズ化され、ジャレコを代表するキャラクターとなった。しかし、これはUPL側にとっては忸怩たる思いにも似た心境であったと言われているが、それは次回の講釈で。



(C)1985 JALECO LTD. (C)1985 Licensed by UPL Co Ltd.

2015/04/19

パックマン

【発売】ナムコ
【開発】ナムコ
【発売日】1980年7月(ロケテスト日:1980年5月22日)
【媒体】アーケード
【容量】198Kbit(システム基板:Namco Pac-Man)
【ジャンル】アクション
【受賞】2005年:ギネス・ワールド・レコーズ認定
【受賞】2010年:国際ビデオゲームの殿堂入り
【受賞】2012年:All-TIME 100 Video Games
【受賞】2012年:ニューヨーク近代美術館パーマネントコレクション認定
【受賞】2015年:ストロング国立演劇博物館世界ビデオゲーム栄誉の殿堂入り




ビデオゲーム創世記のハナシ


【概要】
 80年にナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)から発売されたアクションゲーム。それまでの無個性な自機にキャラクター性を持たせ、『スペースインベーダー』(タイトー)とその模倣作一色だった当時のゲームシーンを変えたエポックメイキングな作品。同年12月にはアメリカのバリー・ミッドウェイ社から発売されたライセンス版が全米で大ヒットを記録。世界一売れたアーケードゲーム機として29万3,822台を販売した。05年にイギリスのギネス・ワールド・レコーズ社より「最も成功したアーケードゲーム」としてギネス世界記録に認定。12年にはアメリカのタイム社が発表した歴史上最も偉大なビデオゲーム100本「All-TIME 100 Video Games」にも選出された。20世紀を代表するビデオゲームとして現在も世界中で愛されている。

 本項では『ナムコミュージアムVOL.1』収録作品として、収録されたオリジナル版(アーケード版)について記述するが、プログラムの処理上、『ナムコミュージアム』収録版ではモンスター達の動きがアーケード版とはやや異なるため、ラウンド9以降の攻略方法「永久パターン」が使えなくなっている。画面の周囲に描かれたイラストは、当時のアップライト筐体に貼られていた天板フレームを模したもの。


【ゲームシステム】
  固定画面のトップビュー形式アクションゲーム。追いかけて来るモンスターをかわしながら「パックマン」を操作し、画面内に敷かれたドットを全て食べ尽くすのが目的。このシステム自体は79年に発売された『ヘッドオン』(セガ・エンタープライゼス)が元祖だが、本作の大ヒットを受け、以降このシステムのゲームは「ドットイートタイプ」と呼ばれる。モンスターは、しつこく追いかけて来る「アカベエ」、待ち伏せの「ピンキー」、点対称の位置に進む気まぐれの「アオスケ」、自由に進むおとぼけの「グズタ」の4種類。それまでのビデオゲームでは単なる「記号」でしかなかった存在にキャラクター性が吹き込まれた。

 パックマンは追いかけられる立場だが、迷路内にある「パワーエサ」を食べると一定時間立場が逆転し、「イジケ」状態となったモンスターを食べる(正確には「かじる」)事ができる。面が進んでも迷路の変更はないが、モンスターのスピードが上がり、パワーエサの効果時間が短くなる。モンスターのスピードが最高速まで上がり、パワーエサの効果もなくなるラウンド21以降は難易度据え置きのまま、256面でカウンターストップとなる。また、ラウンド2、5、9、13、17をクリアするとちょっとした寸劇デモ(コーヒーブレイク)を見る事ができる。現在では当たり前となったゲームのムービーも、本作のデモアニメが元祖なのだ。


【総評】
 せっかくなので、ここでビデオゲームと『パックマン』の歴史をざっくりおさらいしておこう!←いい声で。

 「世界初のビデオゲーム」っつーと諸説あるが、後に「ビデオゲームの父」と呼ばれるアメリカ人のノーラン・ブッシュネル氏によって世界初のアーケードゲーム『コンピュータースペース』(ナッチング・アソシエーツ社)が誕生したのが71年。一般的には72年発売の『ポン』と言われているが、『ポン』は『コンピュータースペース』の失敗後、同年にアメリカのマグナボックス社から発売された世界初の家庭用ゲーム機「オデッセイ」を見て刺激されたブッシュネル氏がアタリ社を設立して作られたゲームである。『ポン』は全米で大ヒットを記録し、ここからビデオゲーム産業が始まったのだ。

 「ビデオゲーム元年」となった72年以降、日本でも新しい産業としてビデオゲーム分野に進出したのが、セガ・エンタープライゼス(現セガ・インタラクティブ)と太東貿易(現タイトー)の2社だ。73年には両社がほぼ同時期に『ポン』を模倣した『ポントロン』と『エレポン』を発売。これが日本初のビデオゲームとなり、この両社が日本初のビデオゲームメーカーとなった。模倣作から始まった日本のビデオゲームだが、タイトーから74年に『スピードレース』、75年には『ウエスタンガン』というオリジナル作品が発売され、日本とアメリカで高い評価を得た。開発者の西角友宏氏(現ドリームス会長)は、後に社会現象となる『スペースインベーダー』の生みの親である。一方、エレメカを主力商品としてしていた中村製作所も74年にアタリジャパンを買収し、ビデオゲーム業界に参入。77年にはブランド名「ナムコ」を社名にして『ジービー』、『ボムビー』、『キューティQ』というオリジナル作品を発売。そして80年7月に本作『パックマン』が誕生した。

 日本での人気以上に、アメリカで爆発的な人気となった『パックマン』は、ナムコだけでは生産が追いつかず、バリー・ミッドウェイ社と北米版のライセンス契約を結ぶ。アーケード版のみならず、家庭用ゲーム機「Atari 2600」(アタリ社)に移植されたバージョンは500万本以上を売り上げたため、人気は更に加速。当時だけで約250社とライセンス契約を結び、450種類以上の関連グッズが発売された。擬人化されたキャラクター達が活躍するテレビアニメ『ザ・パックマン・ショー』がゴールデンタイムに放送されると、最高視聴率56%を記録。ブーム最高潮時には、『パックマン・フィーバー』というディスコサウンドのレコードが全米ヒットチャートのビルボードで9位になるなど、「80年代のミッキーマウス」とさえ呼ばれた。アーケード版だけでも日本の20倍以上の売り上げとなったこの北米版は、莫大なライセンス料を生み出し、 日本ではまだキャラクタービジネスの発想が希薄な時代に、ナムコの収益構造をも変えたのだった。

 『パックマン』の人気は誕生から35年経った現在でも一向に衰えていない。オリジナル版の移植や続編の制作は現在もほとんどのプラットフォームで続けられている。10年には30周年記念として「パックマンウェブ」が開設。アメリカでの人気も健在で、13年からは3DCGアニメが放送。日本でも『パックワールド』というタイトルで14年から現在も放送中だ。見た事ないけど。今秋にはパックマンをはじめとした80年代のゲームキャラクターが登場するハリウッド映画『ピクセル』も公開予定。

 僕はギリギリで『スペースインベーダー』の社会現象は体験していないんだけど、『パックマン』ブームの残り香は物心ついた時にはまだあった。たぶん最初に触れたのはテーブル筐体のアーケード版で、近所のレストラン兼喫茶店にあったのだ。親に連れて行ってもらった時、食前だか食後だかに何度かプレイした記憶がある。そんなこんなで『パックマン』、僕は大好きです。それもマニアックに好きって方向ではなくて、ごくごく自然に、大げさに言うなれば生活の一部として好きな方向っつーかね。80年代の「ナムコ魂」が刷り込まれているゲームファンで『パックマン』が嫌いな人なんていないよね。




Books
『パックマンのゲーム学入門』










【著】岩谷徹
【発売】エンターブレイン
【発売日】2005年9月29日
【定価】1,500円


 『パックマン』の生みの親である岩谷徹氏(現東京工芸大学教授)の著書。

 「昼食に頼んだ食べかけのピザを見て思いついた」、「ゲームセンターを和やかにする、女性をターゲットにしたゲーム」、「ひとつの動作(本作の場合は「食べる」)から連想されるアイデア」、「パワーエサの由来は『ポパイ』から」といった本作誕生時の有名な話から、モンスターのアルゴリズムや紙一重のバランス調整の話まで、開発者自らが語る貴重な1冊。岩谷氏が携わった『ジービー』から『アルペンレーサー』までのナムコの歩みもまとめられているので、ひとかどのゲーム野郎は読むと幸せになれるヨ!また、ゲームクリエイターのみならず、物作りに携わっている人全般に向けた内容でもある良書だ。他にも、宮本茂氏(現任天堂常務取締役)、小口久雄氏(現セガサミーホールディングス取締役)、そしてナムコの創業者にして代表取締役会長の中村雅哉氏(現バンダイナムコホールディングス最高顧問)らとの対談も相当面白い。全254ページと読み応えがあるので、ゲームやってるヒマがあるならこれを読むべし。


【2015.8.27.追記】
 コンピュータエンターテインメント協会(CESA)が主催する日本最大の開発者向けカンファレンス「コンピュータエンターテインメントデベロッパーズカンファレンス2015(CEDEC 2015)」にて、同分野の開発全般に貢献したとして、岩谷徹氏が「CEDEC AWARDS 特別賞」を受賞されました。
 



Figure
『でっかいナムコ超殿堂貯金箱 パックマン』















発売】ナムコ
【発売日】1999年4月
【備考】プライズマシン専用景品
 

 パックマンのイラストを忠実に再現したソフトビニール製の貯金箱っつーかフィギュア。前世紀のプライズマシン専用景品らしいが、僕は今世紀になって初めてネットオークションをやった時に800円で購入。後頭部に硬貨投入口があり、背中(?)を外すと貯めたお金が取り出せるっぽいが、恐らく破損すると思う。そもそも大きなソフビフィギュアとして入手したので、貯金箱としては使っておらず、ちっともお金が貯まりせん。シンプルだけど破綻なく立体化しており、何気にクオリティが高い。全高約20cmと我が家では2番目に大きいフィギュアで、未だに満足度高し。両腕が可動する。




Figure
『CAPCHARAカプキャラ パックマン』










発売】バンダイ
【発売日】2021年4月
【定価】300円


 パックマン、アカベエ(BLINKY)、ピンキー(PINKY)、アオスケ(INKY)、グズタ(CLYDE)の全5種類のカプセルトイ。カプセル自体がパーツとなっており、大きさもそこそこあるナイスガシャポン。ダブりを避けようと4種類出たところでやめたので、グズタだけいないけど、まあ、いいのだ。



Goods
キーホルダー











【発売】ナムコ


  たぶん00年か01年くらいに地元にできたばかりのナムコ直営店で買った物。キーホルダーってあまり買わないんだけど、こいつは造型もいいし、色もブロンズでシブく、そんでもって手触りもいいといい事尽くしだったので買った気がする。軽く調べてみたけどネット上に情報がないんで、消えかかったアテにならない記憶を遡ってるけど、うーん、800円くらいだったかなー。今でもお出かけ用のカバンに付けてる現役グッズ。



Goods
『パックマンミュージアム ミニチュアコレクション』










発売】バンダイ
【発売日】2022年4月
【定価】300円


 『パックマン』シリーズ当時のアーケード筐体をミニチュア化したカプセルトイ。イラストやコンソールパネル部分は全てシール。全高5cmと小さいが、なかなかの満足感。写真はシンプルな2本のオレンジラインがかわいい『ナムコクラシックコレクションVol.2 パックマン』と、全面と側面にイラストが描かれた『スーパーパックマン』。複数並べたくなるヨ!全7種。


Produced by NAMCO LTD. (C)1980 1995 NAMCO LTD.,ALL RIGHTS RESERVED

2015/04/15

ナムコミュージアムVOL.1



【発売】ナムコ
【開発】ナウプロダクション
【発売日】1995年11月22日(PlayStation the Best版:1999年10月28日)
【定価】5,800円(PlayStation the Best版:オープン価格)
【媒体】プレイステーション用CD-ROM
【ジャンル】オムニバス
【周辺機器】ネジコン対応
【受賞】1996年:CESA大賞'96ゲームジャンル別賞バラエティ賞




昔のナムコが好きだ!


【ストーリー】
 本日はナムコミュージアムへお越しいただきまして、誠にありがとうございます。当ミュージムは、歴史に残る数々の名作を当時そのままの形で体験する事ができるエンターテインメントミュージアムとしてオープン致しました。もちろん展示資料なども充実させ、ゲームだけでなく、当社の歩みについてもより深くご理解いただけるよう配慮致しております。今回は第1弾という事で、比較的初期のゲームを中心にご紹介させていただきましたが、第2弾以降もより素晴らしい作品を集めていく予定ですので、ぜひご期待下さい。

 尚、館内は全て禁煙。フラッシュによる撮影はご遠慮いただいております。また、指定された展示物以外には、決してお手を触れませんようご協力をお願い致します。それでは、ナムコミュージアムをごゆっくりお楽しみ下さい。


【収録作品】
01.パックマン(80年7月)
02.ラリーX(80年11月)
03.ニューラリーX(81年2月)
04.ギャラガ(81年9月)
05.ボスコニアン(81年11月)
06.ポールポジション(82年9月)
07.トイポップ(86年4月)





【概要】
 ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)が銀河系一輝いていた頃に発売されたアーケードゲームの数々を完全移植もしくは完全に近い移植で複数収録したオムニバスソフト。ゲームのみならず、多くの関連資料や同社の会社資料までも収録した最強に強まったプレイステーション用ソフトとして、全6本が順次発売された。移植の再現度、資料性、コストパフォーマンス、どれをとっても神のようなシリーズの第1弾。『ラリーX』、『ニューラリーX』、『ボスコニアン』、『トイポップ』は家庭用ゲーム機では初の移植である。また、『ポールポジション』のみ別売りの周辺機器「ネジコン」に対応している。買え。


【ゲームシステム】
 この『ナムコミュージアムVOL.1』では博物館風の建物に収録ゲームとその資料が展示されているという設定で、プレイヤーは館内を自由に見て回る事ができる。もちろん、すぐに目当てのゲームで遊びたい場合はタイトル画面から直接呼び出す事も可能だ。建物に入ると、ナムコファンにはお馴染みの「受付小町」が出迎えてくれるのが嬉しい。受付小町は85年に作られたナムコの受付案内ロボットで、合併後の現在も稼動している。画面右下に表示されている「パックマン」はナビゲーター。展示物などがあると頭上に出る「!」マークと共に身振り手振りでプレイヤーに教えてくれ、ほっとくと寝ちゃうとこがかわいい。

 館内は展示物が閲覧できる「ラウンジ」と、各ゲームをプレイする「ゲームルーム」に分かれており、貴重な資料の数々を見る事ができる。中にはビデオゲーム登場前のエレメカやロボット(顔がちょうこわい)の販促用パンフレットなんかもあるが、目玉は広報誌「namco COMMUNITY MAGAZINE NG」の表紙だろう。83年に季刊誌としてナムコ直営店のゲームセンターで無料配布された後、86年に月刊化され有料になるも(150円)、メーカーとファンとを繋ぐ貴重な雑誌として全52号が93年まで刊行された。僕が当時住んでたとこには直営店がなくて、ずいぶん後になってかーなーりー欲しくなったんだけど、この「NG」は一企業の単なる広報誌以上の魅力があり、ある意味ナムコファンのステータスグッズにもなっているため、今手に入れようとしたらかーなーりーお高くて買えないので、どなたかダブってたら1冊でもいいので譲って下さい!

 そんなわけで、インターネットが一般家庭にまだ普及していなかった95年当時において、これらの資料はナムコファンにとってはどれも垂涎モノばかりで、ゲームそのものよりもこの資料のために本シリーズを買い続けた人も多いはずだ。僕もその1人なんですけどね。

 ゲームルームに続く通路にも各ゲームの資料がたくさん展示されていている。グッズはもとより、インストラクションカードや基盤の写真までも見る事ができ、しばらく飽きない。あ、そうだ、ラウンジもゲームルームも共に一部の資料は拡大して見る事ができるんだけど、プレイステーションの解像度の関係上、「はっきりくっきり読みやすい」っつーもんではない。これはハードの仕様なんでどうしようもないところではある。

 ゲームルームに入ると、そこは各ゲームの世界観に沿った部屋になっており、3Dで再現された筐体に触れるとゲームをプレイできる。前述した様にタイトル画面で直接呼び出す事もできるが、こうしてじっくりと展示を見て回った後でプレイするのもまた楽しいのだ。

 部屋の中では各ゲームのBGMをアレンジしたナイスな曲を聴く事ができるのだが、このアレンジがまた秀逸で、これだけ集めてアルバム作って欲しいくらい。また、ラウンジにある「ジュークボックス」ではオリジナル版のサウンドテストができる隙のなさはさすがである。


【総評】
 80年代のゲームファンはイコールナムコファンでもあったので、どうナムコ作品を扱おうか5秒ほど考えていたのでした。というのも、この『ナムコミュージアム』シリーズが最強過ぎてファミコン版のカートリッジは軒並み手放してしまったし、ハードがいわゆる当時の「次世代機」だったり、複数収録のオムニバス形式だったりと、普段とはちょい勝手が違うなーと思って。でも、まあ、当ブログも今回で10回目なので、その記念(?)に本作を紹介し、収録されている各ゲームも今後は個別に「解禁」するって方針で進めようと思います。いや、収録ゲーム全部は書かないけど、いくつかはいずれ書く!かも!みたいな!

 さて、冒頭で「完全移植」と書いたものの、本作に関しては「完全に近い移植」というのが正しい。具体的には、『パックマン』ではアーケード版にあった「永久パターン」が使えない(らしい)。『ラリーX』と『ニューラリーX』は自機のスピードがアーケード版よりやや速い(らしい)。『ギャラガ』では自機の当たり判定が小さくなっている(らしい)。『ボスコニアン』は障害物の数や敵の配置が違う(らしい)。『ポールポジション』は版権の都合上、アーケード版では実在する企業の看板がナムコのキャラクターに置き換えられているそうだ。「らしい」とか「そうだ」っつーのは、僕にはそこまで詳しく分からないでインターネットさんに聞きました。

 この頃って、格闘ゲームでは特に顕著だったんだけど、家庭用ゲーム機の性能が格段に上がったぶん、「完全移植じゃなきゃダメ」みたいな風潮が確かにあるにはあったんですわ。でも、この収録内容なら文句ナシっつってもいいんじゃないでしょうか。少なくとも僕は全く文句ないです。この後、多くのプラットフォームでこの『ナムコミュージアム』という同じタイトルのソフトが発売されているが、このプレイステーション版を上回る完成度のものは個人的にはないと思っているので、何はなくともこれを買おう。99年には廉価版「PlayStation The Best」でもオープン価格(この廉価版シリーズはメーカーに関わらずだいたい2,800円)で発売されいる。ナムコばんざーい!うえーい!




Goods
ナムコ20周年記念シール&ロゴステッカー
 遊びをクリエイトしまくる有限会社中村製作所がクーソーしてから寝ていきたい株式会社ナムコになって20年経った年に販売店へ配られた20周年記念シール。これをゲームソフトのパッケージなんかに店がペタペタ貼ってたわけです。なんで持ってるかってーと、その数年後に一時期ゲーム屋でバイトしてたから。余って倉庫に眠ってた販促物なんかをよくもらってたけど、今はもうほとんど手許に残ってない。ロゴステッカーもその時もらったもの。



Produced by NAMCO LTD. (C)1995 NAMCO LTD.,ALL RIGHTS RESERVED

2015/04/03

ポートピア連続殺人事件

【発売】エニックス
【開発】チュンソフト
【発売日】1985年11月29日
【定価】5,500円
【媒体】ファミコン用カートリッジ
【ジャンル】アドベンチャー





アドベンチャーゲームの古典


【ストーリー】
 突然、部下のヤスが血相を変えて飛び込んで来た。
「大変です、ボス!ローンヤマキンの社長、山川耕造が自殺しました!」
「な、なに~っ!?」
オレは捜査一課の腕利き刑事である。山川耕造…サラ金会社社長。その悪質な経営ぶりで人を自殺に追い込んだ事はあったが、まさかその耕造が自殺してしまうとは…。オレにはどーしても信じられなかった。
「しかし、ボス。耕造は完全な密室で死んでいたんですよ」
「話してみてくれ」と、オレ。
「ええ、見つけたのは、耕造の秘書の沢木文江って女性なんですが、耕造がいつまでたっても会社に現れないので、耕造の屋敷まで様子を見に行き、そして…」
ヤスの話をまとめてみると、こうだった。屋敷に着いた文江は、門番の小宮という老人に中へ入れてもらう。「たぶん書斉におるんじゃろ」と、小宮老人。しかし、書斉のドアには鍵がかかっていて、いくら呼んでも返事がない。おかしいと思った2人は体当たりしてドアを叩き開け、そこで耕造の死体を発見したという事だった。
「しかも、ボス。小宮が気付いたんですが、書斉のドアには内側から鍵が差し込まれていたそうです」
ヤスの話を聞きながら、オレは煙草を灰にする作業に専念していた。これは、本当に自殺なのだろうか…?


【概要】
 『北海道連鎖殺人オホーツクに消ゆ』(アスキー)、『軽井沢誘拐案内』と共にシナリオライターの堀井雄二氏が手がけた「堀井ミステリー三部作」のひとつで、83年にPC-8801で発売されたオリジナル版では、シナリオ、プログラム、グラフィックとほぼ全てを堀井氏が1人で手がけ、「日本初の本格推理アドベンチャーゲーム」と言われている。85年にファミコン初のアドベンチャーゲームとして移植された際に、キーボードによるコマンド入力方式から予め用意されたコマンド選択方式へとインターフェイス部分が大幅に改良された。どうでもいいけど、ストーリー説明時のボスのキャラクターがちょっと軽い。

 81年に開催された神戸ポートアイランド博覧会「ポートピア'81」は、地方博ブームの火付け役となっただけでなく、神戸市の都市価値を一躍高め、博覧会終了後もそのレジャー施設を受け継いだ「神戸ポートピアランド」が80年代後半を代表する都市型テーマパークとなった。オリジナル版開発時は、ちょっと背伸びしたいお年頃の若者達にとってオシャレで旬な街の代表が神戸だったのだ。そんなわけで(かどうかは不明だが)、「ポートピア」の名を冠した本作は、神戸市を舞台にしたタイムリーな作品でもあり、約70万本を売り上げた。


【ゲームシステム】
 で、キーボードのないファミコンではコマンド選択式に変更されたわけだが、ともすれば単純作業になってしまうコマンド総当たりを防ぐため、「むしめがね」や「たたけ」コマンドでは、カーソルで画面内を自由に調べる事ができるという以降のアドベンチャーゲームの基本システムを完璧なまでに作り上げている。堀井雄二という人の仕事の全部がすごいとは言わないけど、やっぱり天才だと思うのだ。それも、さしたる根拠もないアーティスト気取りがテキトーにインスピレーションで閃いたー!ってんじゃなく、技術と工夫と根気で商品としての要求クリアを遂行するプロフェッショナルな職人気質の天才だ。すごいぜ堀井さん!


【総評】
 「犯人はヤス」-今やネットスラングとして一人歩きしたこの言葉通り、一連の殺人事件の犯人は、プレイヤーの部下である「ヤス」こと「真野康彦」である。ゲームはプレイした事ないが犯人は知っているという人も少なくない中、今更ネタバレを隠すのも無意味なくらいに犯人はヤスなのだ。改めてパッケージイラストを見ると、大きなヒントが隠されている。この緊張感の中に悲哀を感じさせるオトナなイラストに当時とても惹かれたんだけど、どうやらマンガ家の北条司氏が描いている事を今日知った!いや、確定ソースはないんだけど、確かに似てるし、もし本当なら30年目にして新たな真実を知ってビックリ!

【2018.12.22.追記】
 投稿者00様より、本作のパッケージイラストは北条司氏ではなく、当時エニックスの作品を手がけていた眞島真太郎氏(現アルテピアッツァ代表取締役社長)である事が分かりましたので、ここに訂正致します。貴重な情報をお教え下さってありがとうございます。

 いかんせん容量が少なく、タイトル画面もゲーム内の流用なら、BGMもなく、更には効果音もほんの数種類と、今の目で見れば笑っちゃうくらいシンプルで寂しいんだけど、そこがまた想像力をかき立ててくれる。ほら、ファミコンってグラフィックやサウンドがチープなぶん、想像の余地があるっつーか、今のゲームって実写バリバリ&ハイクオリティーCG満載の超美麗グラフィック!ロンドンフィルハーモニーオーケストラによる臨場感溢れる音楽!エンジン音は全て実車から録音!人の動きをそのまま取り込んだリアルな動き!手に汗握るドックファイト!飛び交う銃弾!吹っ飛ぶパトカー!浅草一帯が火の海!ハリウッド全面協力!豪華声優陣起用!日本プロ野球機構監修!ジーコがパッケージ!?っつー具合で表現があまりにも写実的かつ過剰過ぎて、それが画一化されたものになっちゃってるから、マシンとしての表現能力が劣るファミコンの方がかえって想像力をかき立てられるっつーか、まあ、懐古趣味ゲーム野郎の戯言なんですが、こういう「味わい」って馬鹿にしたもんじゃないんすよ。

 古いが故に欠点も多いっちゃ多い。登場人物の心情描写が乏しく、舞台にした神戸の街もそーんなには活かされていない。まあ、この部分はある程度プレイヤーの想像力に任せ、ファミコン初のアドベンチャーゲームとしてストレスのないインターフェイスに容量を割いた結果だろう。想像力ではどうしようもない点としては、セーブ機能はもとよりパスワードもないため、ゲーム開始からエンディングまで電源を切る事ができない。また、序盤で3D視点のダンジョンっていうか山川邸の地下室に入るんだけど、この地下が『オホーツクに消ゆ』の夕張炭鉱より広く、ここで投げ出したプレイヤーも多いはずだ。はい、30年前の僕もココで挫折しました。だって、無駄に広くて複雑なんだもん。

 他にもノーヒントで画面の何もない所を調べないと手がかりが発見できない箇所もある。とは言え、今は良質な攻略サイトも多くあるし、最短なら30分かからずにクリアできるため、他機種に移植されていないこの「古典」を紐解いてみるのもたまにはよかろうて。そして、なぜ刑事であるヤスが犯行に至ったのか、その動機を自分の目で確かめてみてほしい。



(C)1985 ENIX