2015/04/24

忍者じゃじゃ丸くん

【発売】ジャレコ
【開発】トーセ
【発売日】1985年11月15日
【定価】4,500円
【媒体】ファミコン用カートリッジ
【容量】256Kbit
【ジャンル】アクション



UPLとジャレコ(下)


【ストーリー】
 裏切者のなまず太夫が我らのアイドル・さくら姫をさらってしまった!兄・忍者くんは修行の旅。留守を預かる弟のじゃじゃ丸くんが1人でさくら姫を助けに行く事になった。兄者の教えを受け、今や一、二の忍法の腕を競うじゃじゃ丸。果たしてじゃじゃ丸くんは、妖怪達を倒して悪のなまず太夫からさくら姫を救い出せるのだろうか!


【概要】
 前作『忍者くん 魔城の冒険』から派生した横スクロール型アクションゲーム。前作はUPLから発売されたアーケード版の移植だったが、今作はジャレコのオリジナル作。前作の基本システムを踏襲しつつ、多彩な敵キャラクターやアイテムによるパワーアップ、忍法を使って召還する巨大蛙「ガマパックン」の登場など、オリジナル版の世界観を更に膨らませつつユーザー層の間口を広げた新要素により、約100万本を売り上げた。全21ステージ。


【ゲームシステム】
 1ステージに登場する敵キャラクター8体を制限時間内に全滅させればクリアという基本部分は前作をそのまま継承。3面ごとに敵キャラクターが入れ替わり、1体のみ中ボス的存在で登場するキャラクターが以降のステージではザコキャラに置き換わるという部分も同じだ。画面構成は縦スクロールから4階構造の横スクロールに変更され、一部の天井をジャンプで壊すとアイテムが出現する様になった。この画面構成と、アイテムを発見する楽しみにより、独特のモッサリしたジャンプに対してストレスをあまり感じずにプレイできる様になった。


 飛距離の短い手裏剣と、相手に体当たりを喰らわせて気絶させるというアクションは前作同様だが、全体の難易度は低くなっているため、ライトユーザーにもとっつきやすくなった。ステージ13以降に登場する「ピン坊」&ステージ16以降に登場の「カクタン」は一度気絶させてからでないと手裏剣が効かない強敵だが、救済策はある。アイテムを3種類集めると忍法でガマパックンが呼び出され、ステージ内の全ての敵を食べ尽くす事ができるのだ。呼び出すステージのタイミングさえ図れば、難敵揃いの後半戦もある程度は力技でクリアする事ができるのだ。


【総評】
 どこか哀愁を漂わせる前作とは異なり、賑やかな画面に愛らしいキャラクター(「おゆき」がかわいい)、耳に残る軽快なBGMなど、短期間で見事にオリジナル版を昇華させた本作は、2ヶ月前に発売された『スーパーマリオブラザーズ』(任天堂)の大ヒットによるファミコンブームと、前月から始まったテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』による妖怪ブームという2つの流れにうまく乗った事もあり、ミリオンセラーを達成した。「養子」として買い取った「じゃじゃ丸くん」は、デビュー作でジャレコを代表するキャラクターとなり、オリジナル版の『忍者くん』さえジャレコ製と思うユーザーもいるほどだった。

 だが、じゃじゃ丸とジャレコはこのデビュー作以降、迷走し続ける事となる。翌86年には『じゃじゃ丸の大冒険』がリリース。『忍者くん』から受け継いだ基本システムを捨て、『スーパーマリオ』タイプのありがちな横スクロール型アクションゲームに、本作で助け出した「さくら姫」が実は偽者だったという文字通り取って付けたストーリーが添えられた凡庸なキャラクターゲームだった。基本システムのみならず、UPLと約束した「忍者くんの弟」という設定もこの作品以降葬り去られた。ジャレコが志を捨てた作品と言ってもいいだろう。

 一方のUPLは、この『じゃじゃ丸』シリーズを「自分達の預かり知らぬもの」として、87年にアーケードで『忍者くん 阿修羅ノ章』を発売。『忍者くん』を正統進化させつつ、「産みの親」としての志が随所に見られる奥深いアクションゲームに仕上げた。翌88年には初めて自社ブランドでファミコン版も発売。だが、その難易度の高さは『じゃじゃ丸』シリーズのライトユーザー層には合わず、販売本数の少なさも災いしてか、「隠れた名作」としての評価に留まったまま、4年後の92年に倒産してしまう。

 UPLの倒産で権利による縛りが事実上なくなったジャレコは、その後、キャラクターデザインを無残なほどマンガチックに変えたRPGや、シリアスタッチへ180度方針転換したアクションRPG、再びライトユーザー層を狙って全世界から宇宙にまで無意味に世界観を広げたアクションゲームなど、節操なく駄作を輩出し続けた。ジャレコとしては任天堂の「マリオ」の様な看板キャラクターに育てたかったのであろう事は容易に想像がつくが、「忍者」というキャラクターにそこまで汎用性の高さはない。新作がリリースされる度に、じゃじゃ丸は個性を失っていった。ジャレコはあまりにもじゃじゃ丸に固執し過ぎた気がするのだ。

 ファミコン初期サードパーティ6社(ハドソン、ナムコ、ジャレコ、タイトー、カプコン、コナミ)の中でジャレコが輝いていた時期は、ごくごく僅かな期間だ。それは一連の『じゃじゃ丸』シリーズを見れば分かる様に、キャラクターを生み出す力も、大事に育てる土壌もなく、ゲームメーカーとしての志さえ見失っていたからではないか。そうさせたのは本作のミリオンセラーにあったのかもしれない。いずれにせよ、独創的でどことなくオシャレな作風は、本作以降急速に色褪せていった。結局、「ジャレコ」というブランドがゲームファンの中で確立されたのは、93年に登場する『アイドル雀士スーチーパイ』シリーズまで待たなければならなかった。

 ジャレコの迷走は更に続く。00年に香港の通信会社に買収され、ゲーム開発部門が大幅に縮小。一時は不動産業界や証券業界に参入するなどして、06年にジャレコ・ホールディングスへと社名を変えるが経営改善の見込みは立たず、09年に今度は韓国のオンラインゲーム会社の子会社となる。その会社も総額22億円以上という負債を残して14年に破産。辛うじてゲーム開発部門だけは残っているらしいが、これまでに発売した全ての作品の権利をハムスターへ譲渡し、その幕を閉じたのだった。

 コアユーザーの心を掴んだ個性的な兄「忍者くん」と、ライトユーザーの支持を受けミリオンセラーのデビューを飾った弟の「じゃじゃ丸くん」。UPLとジャレコの両社がなくなった今となっては、どちらの「親」に育てられた方がよかったのか分からないが、こうして今も時折遊ばれる事が、兄弟にとっては一番幸せなのかもしれない。



(C)1985 JALECO LTD.

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