【発売】タイトー
【開発】タイトー
【発売日】1994年3月25日
【定価】4,980円
【媒体】スーパーファミコン用カートリッジ
【容量】2M
【ジャンル】シューティング
全てはここから始まった
【ストーリー】
1978年、日本中をとりこにした『スペースインベーダー』が遂に復活!再び襲い来るインベーダー群団から地球を守れ!人類の未来は君の双肩にかかっている!
【概要】
タイトー(現スクウェア・エニックス)創立40周年記念&『スペースインベーダー』誕生15周年記念作。78年にアーケードで発売され、爆発的な人気で社会現象となった『スペースインベーダー』を完全移植。併せて、家庭用ゲーム機としては初の新作「対戦モード」も収録。本作は94年にスーパーファミコンで発売後、同年夏に『スペースインベーダーDX』としてアーケードへ逆移植された。
【ゲームシステム】
自機の「ビーム砲」を左右に動かし、Aボタン(B、X、Yも共通)でビーム砲を発射。画面上方から迫って来る縦5列×横11列の計55機の「インベーダー」を撃ち落せばステージクリアとなる。ビーム砲を全て失うか、インベーダーに最下段まで迫られ「占領」されるとゲームオーバー。全9ステージ。78年当時のバリエーションであるテーブル筐体版のモノクロ、セロハン、カラーの3種とアップライト筐体の計4種から選べる。オススメは当時の雰囲気が味わえるモノクロとカラー。もちろん、「ナゴヤ撃ち」や「レインボー」といったバグによる裏技もきっちり再現している。
新作の「対戦モード」は、『ぷよぷよ』(コンパイル)などのいわゆる落ち物パズルゲーム風で、自分の画面のインベーダー群を1列撃ち落すと、相手の画面にそのインベーダー群を投下する事ができる。多聞に『コズモギャング・ザ・パズル』(ナムコ)を意識したと思われるが、カラーのインベーダーを撃つとその色によって様々な効果があったり、「UFO」を撃つと1プレイヤーと2プレイヤーのインベーダー群が入れ替わるなど、なかなか熱い。ただし、対コンピュータ戦ができないため、ぼっちの僕には遊べないのが難点。がーん!
【総評】
それまで主にエレメカが中心だったゲームセンターに突如現れた『スペースインベーダー』は、迫り来るエイリアンの集団に対して、その侵入を阻止しようと孤軍奮戦するプレイヤーの緊張感ある攻防戦を見事に表現し、一躍「次世代の娯楽」として国民に受け入れられた。ゲームセンターは軒並み「インベーダーハウス」と名を変え、飲食店のテーブルはことごとく筐体に置き換えられ、日本中の100円玉が不足した(日本銀行は1ヶ月で66億円分の100円玉を急遽投入したという)。72年に太東貿易(現タイトー)とセガ・エンタープライゼス(現セガ・インタラクティブ)の2社から始まった日本のビデオゲーム業界は瞬く間に膨れ上がり、80社に上るメーカーが模倣品やコピー品を乱造した。
ブームが過ぎ去ると、多くのメーカーが倒産し、ゲームセンターは不良の温床とされた。84年の風適法改正でゲームセンターが規制の対象となり、以降ビデオゲームは長きに渡って偏見の目で見られる事になる。やがて生き残ったメーカーは「脱インベーダー」を図って模造品で溢れる市場の健全化を目指し、各々が独自色を打ち出したゲームを輩出。ブームをきっかけに家庭でもビデオゲームを楽しみたいという需要が増え、パソコン(当時はマイコンですな)やLSIゲーム、ひいては家庭用ゲーム機の登場へと繋がる。今日のビデオゲームを取り巻く環境によくも悪くも多大な影響を与えた歴史的なゲーム、それが『スペースインベーダー』なのだ。
だが、こと家庭用ゲーム機への移植となると振るわなかった。タイトーは85年にファミコン参入第1弾ソフトとして『スペースインベーダー』を移植するも、絶賛大ヒット真っ最中の『ゼビウス』をはじめアーケードの移植を次々とリリースして第一次黄金期を築いていたナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)、グラフィックの大幅リメイクでミリオンセラーとなった『ロードランナー』の勢いが止まらないハドソン(現コナミデジタルエンタテインメント)の双璧を崩せぬばかりか、新参のジャレコにサードパーティの3番手を奪われた。かつての『インベーダー』がそうであった様に、ファミコンユーザーは新しく刺激的なゲームに目を輝かせていた時期だ。実際、ブームを体験していない当時の僕にとって『インベーダー』は「見劣りする昔のゲーム」でしかなかった。いかに社会現象にまでなったと言っても7年も前のゲームをそのまま移植したタイトーの判断は完全に誤りだったと言えるだろう。
ファミコン市場でのスタートに失敗したタイトーは、今でこそネタにされている『たけしの挑戦状』でユーザーの信頼を完全に失う結果を招き、とうとう最後までファミコンでその実力を発揮する事はできなかった。誤解してほしくないのは、「タイトーはダメ」というわけではない。アーケードでは86年に『ダライアス』、87年に『究極タイガー』(開発は東亜プラン)、89年に『ナイトストライカー』、少し空いて94年には『レイフォース』とシューティングゲームだけ見ても『スペースインベーダー』以降も続々と傑作を世に送り出している。ことファミコン用ソフトに関しては最初の『インベーダー』による躓きを払拭できぬまま、質も量も当時のナムコやハドソンと肩を並べられなかったという事だ(※個人の感想です)。
そして、スーパーファミコンで発売された本作もまた、ファミコン版と同じミスディレクションを犯してしまう。94年と言えば、ファミコン用ソフトが発売された最後の年であり、アーケードの対戦格闘ゲームや落ち物パズルゲームの移植作が続々と発売。更には前年に始まったJリーグのブームによってサッカーゲームも急増。対戦ゲームの需要が増す中で、各メーカーがスーパーファミコン用ソフトの開発にようやく手慣れた頃でもあり、新機軸が盛り込まれた意欲作と駄作が山の様に発売されていた。事実、94年発売のスーパーファミコン用ソフトは最多の370タイトルに上る。年末には次世代機のセガサターンとプレイステーションも発売された。今でこそ当ブログみたいにレトロゲームを愛する懐古趣味ファンも多くなったけど、当時は過去を振り返るほどビデオゲームの歴史はまだそう長くなかったし、イケイケ状態だったのだ。そんな中で「『スペースインベーダー』15周年記念」と言われても、琴線に触れるユーザーはそう多くなかったんじゃないだろうか(※個人の感想ですよ?)。追い討ちをかけたのが、雑誌のレビューだ。最新ソフトと同じ土俵に上げられて評価されたため、相対的に低評価となったのは不運と言えよう。同年に『リブルラブル』(ナムコ)、翌95年には『ムーンクレスタ』や『クレイジー・クライマー』などを収録した『ニチブツアーケードクラシックス』(日本物産)が本作と同じコンセプトで発売されたが、これらが再評価されたのは数年先の事である。
13年に35周年を迎えてやっと再評価される時代になったわけだけど、内容的にはやっぱりちょっと寂しいよねというのが素直なところ。メディアがカートリッジなので『ナムコミュージアム』(ナムコ)の様に資料まで収録できない事を差し引いても、タイトル画面やメニュー画面などの見せ方には気を遣ってほしかった。『インベーダー』はことある度にいろんなプラットフォームで発売されまくっているので、今の時代だからこそ手許に1本は置いておいてもいいんじゃないかという気にやっとなったが(※個人の感想ですってば)、その中でも開発者の西角友宏氏(現ドリームス会長)が「一番気に入っている」と言う本作ならば間違いはない。
【2015.8.27.追記】
コンピュータエンターテインメント協会(CESA)が主催する日本最大の開発者向けカンファレンス「コンピュータエンターテインメントデベロッパーズカンファレンス2015(CEDEC 2015)」にて、同分野の開発全般に貢献したとして、西角友宏氏が「CEDEC AWARDS 特別賞」を受賞されました。
(C)TAITO CORP.1994
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