2014/11/03

ドアドア

【発売】エニックス
【開発】チュンソフト
【発売日】1985年7月18日
【定価】4,900円
【媒体】ファミコン用カートリッジ
【容量】512Kbit
【ジャンル】アクション




アイデアとキャラクターが光る黎明期の佳作


【概要】
 ゲームクリエイターの中村光一氏が高校3年生の時に制作し、エニックス(現スクウェア・エニックス)が主催するパソコンソフトのプログラミングコンテスト「第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」にて優秀プログラム賞(準優勝)を受賞したアクションゲーム。これを機に中村氏はチュンソフト(現スパイク・チュンソフト)を設立し、多くのパソコンへ移植。85年にはエニックスの参入ソフト第1弾としてファミコンにも移植され、約20万本のヒットを収めた。


【ゲームシステム】
 主人公の「チュン君」を操り、4種類の有象無象どもを誘導して全員をドアの中へ閉じ込めればクリアというシンプルなルール。全50面。

 中村氏の同級生がデザインしたキュートな化け物は、ひたすらチュン君を追いかけるストーキングナメクジ野郎の「ナメゴン」、チュン君との間にハシゴがあると昇ってしまう火星野郎の「インベ君」、チュン君との間にハシゴがあると下りてしまうアメーバ野郎の「アメちゃん」、チュン君がジャンプするのに合わせてジャンプする猿真似野郎の「オタピョン」の4種類(なぜかオタピョンだけタイトル画面でハブられてる)。また、ハシゴも「チュン君とモンスター共に使えるハシゴ」、「チュン君のみ使えるハシゴ」、「モンスターのみ使えるハシゴ」の3種類で、ドアの開く方向も「右」、「左」、「両開き」と3種類ある。

 チュン君は移動とジャンプ以外できないが、オタピョンにジャンプ避けは通用せず、下から突き上げを喰らって即死する。もちろん他の敵に当たっても即死だ。また、突如現れる爆弾に当たっても即死。床に落ちてる釘に刺さっても即死という一発アウトの即死野郎であり、3つしかないバッファローマンにもらった命を増やすには、敵をまとめて誘導する「半ドア」のテクニックで高得点を狙うか、時折出現するスイーツを拾い食いして得点を稼ぐしかない。が、この「半ドア」を狙ったばかりにかえって窮地に陥り、「こんな事なら地道に1匹1匹閉じ込めておけばよかった」と、己の腕の未熟さと欲深さにさいなまれるのだ。

 でも、やられた時のキュート過ぎるチュン君を見る度に癒されるのでオッケー!なにせ昔のゲーム、フクザツな事はできないが、限られたキャラクターとオブジェクトに明確な特性を持たせたアイデアが、シンプルなゲームを一段深いものにしているのだ。こういうゲーム大好き。


【総評】
 さて、この『ドアドア』、カセットを買ったのは先月で(裸で250円だったヨ!)、実を言うとこのファミコン版を初めてプレイしたのも先月なのでした。と言うのも、僕にとって『ドアドア』と言えば、83年発売のメディアがまだカセットテープだった、ロード時間に30分はかかるPC-8801版だからなのだ。

 小学4年の頃だったと思うが、僕は同級生と英会話スクールに通っていた。英会話のある日は、学校が終わるとその友達のアパートへ行き、『ドアドア』をセットしてもらう。PC-8801がゲームを読み込むまでの間、友達のお母さんがサンドイッチやお茶漬けなんかを作って食べさせてくれた。中途半端な時間に食べるそのサンドイッチやお茶漬けが、いつも無性に美味しかった。食べ終わっても『ドアドア』はまだ始まらない。そんな時、医者を目指していた友達は中学受験用の参考書を読み、僕はノートにチュン君やナメゴン達を描いて、ゲームが始まるのを待った。実際、いつもゲームをやる時間はそう長くなかったし、英会話自体も半年かそこらで辞めてしまったけど、僕にとっては思い出深い、子供の頃の記憶の片隅に『ドアドア』があったのだ。

 小学校を卒業すると、そいつは県外の私立の中学・高校へと進み、それ以来20年近く会っていない。北海道で医者になり、結婚したのを知ったのは、ずいぶん後になってからだ。僕は僕でアートディレクターとして順風満帆な時もあれば、人並みに苦労も経験して、今年フリーのデザイナーになった。もしかしたら、あいつはもうこのゲームの事なんか覚えていないかもしれない。それどころか、僕の事さえ忘れているかもしれない。もう会う機会はないのかもしれない。それでも、もしかして、いつかまた再会する事があるのなら、その時僕はこう言おうと思ってる。

 「一緒に『ドアドア』やろうぜ」ってね。



(C)1985 CHUNSOFT (C)1985 ENIX 

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