【発売】ジャレコ
【開発】トーセ
【発売日】1986年10月31日
【定価】5,200円
【媒体】ファミコン用カートリッジ
【容量】1M
【ジャンル】アドベンチャー
【ジャンル】アドベンチャー
理不尽さ満載!ゲームオーバーの嵐!
【ストーリー】
セントルイスを出航し、広大なミシシッピー川を下り、ニューオリンズへと向かう豪華客船「デルタ・プリンセス号」。この船には様々な男女が乗り込んでいた。お金持ちの婦人、判事、etc…。その中に世界的に著名な探偵がいた。チャールズ・フォックスワース卿と助手のワトソンである。2人は久しぶりの休暇を優雅な船旅で楽しもうという計画で、この船に乗り込んだのであった。外は爽やかな6月の風が吹き、船のエンジンは快調だった。こんな心地よい日にあんな恐しい出来事が起こり、自分が捜査に乗り出さなくてはならなくなるとは、さすがのチャールズ卿も夢にも思わなかっただろう。
「 いやあ!なんとも今日は爽やかな日ですね!」
「本当だね、ワトソンくん。楽しい旅行になりそうだ。デッキを散歩しながら他の船室のお客さんに挨拶でもしてこようか?」
「 まいりましょうか、先生」
そんな会話を交わし、2人は自分達の船室を後にしたが…?
【概要】
オリジナル版は86年にアメリカのアクティビジョン社(現アクティビジョン・ブリザード社)がコモドール64及びAppleII用に開発した『Murder on the Mississippi』で、同年にジャレコがローカライズ移植したのが本作である。助手の「ワトソン」という名前は、オリジナル版では「リージス・フェルプス」という全くの別名だが、これはローカライズに際して日本で馴染みのある名前をと、アーサー・コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』にあやかってジャレコが独自に変更したものと思われる。尚、本作は『ポートピア連続殺人事件』(エニックス)に次いでファミコンで2番目に発売されたアドベンチャーゲームである。
【ゲームシステム】
サイドビュー形式のアドベンチャーゲーム。「チャールズ・フォックスワース卿」を操り、ワトソンと共に船内を歩き回って捜査する。乗客達から得られる情報はワトソンにメモをさせる事ができ、このメモを他の乗客に見せて新たな証言を得ていく。ただし、メモは1人につき3回までしか取れないため、4回目からは古いメモが自動的に消えてしまう。加えて、乗客達は同じセリフを1度しか話さないため、重要証言をメモし忘れた場合はクリア不可能になってしまう。入手した証拠品は自室にストックして、後で詳しく調べる事ができる。船内には落とし穴やナイフのトラップもあり、その難易度と理不尽度は非常に高い。
【総評】
度々書いていますが、当ブログは定番のクソゲーとして笑い者にするレビューサイトとは目的を異にしているため、できる限り当時の世相や状況を思い出しながら評価しているつもりです。作られた時代を考慮せず、ネット上での評判を元にして安易に「クソゲー」と評するのは、色が着いていないという理由だけでモノクロ映画を小馬鹿にしているのと同じだと思うからです。「ファミコン史上屈指のクソゲー」とも言われている本作に関してもスタンスは変わらない所存でしゅっつーか、あのですね、ここまで偉そうな前口上垂れといてアレなんですけど、ヒドイよね、このゲーム←おい。
では、何がヒドイのか。まずはシステム面。必要以上に難易度を上げている独特の会話は、登場人物全員が1度話した事は2度と口にしない確固たる信念を持ったコミュ障だらけなので、重要証言をメモし忘れるor上書きして消してしまうと、容疑者を追い詰める事ができずにクリア不可能となり、ゲームオーバー。大事な事なので2回言いましたとか甘えです。ドユコトー!いちいち「あるく」コマンドを選ばないと歩けない事に関しては、時代によってはそれが当たり前だったりもするので、よしとしましょう。これくらいは昔のパソコンゲームではあったあった。でも、その歩くスピードがオリジナル版よりも遅いってのはドユコトー!そして、オリジナル版にはあるコンティニューの廃止。ファミコンで初めてバッテリーバックアップ機能を搭載したのは翌87年発売の『森田将棋』(セタ)なので、この頃はまだ望むべくもありませんが、既に85年には『チャンピオンシップロードランナー』(ハドソン)や『フラッピー』(デービーソフト)がパスワードによるコンティニューを実装しています。つまりは、移植の際に失敗したわけです。誤字脱字まであるし。
次に理不尽さ。部屋に入った途端にチャールズ卿目掛けてどこからともなく発射されるナイフや、これまたチャールズ卿のみに反応する落とし穴など、トラップの数々。場合によっては本来の被害者を発見する前にチャールズ卿が被害者となり、事件が幕を開ける前にゲームオーバー。ナイフなんて飛んで来るのが分かっていても足が遅いので避けきれず、眉間にサックリ突き刺さってゲームオーバー。これらの罠は誰が何のために仕掛けたのか、ゲームをクリアしても明かされません。ドユコトー!更には攻略本でもなければ一生かかっても分からない様な全く脈略のない手がかりを探さなければならない徹底っぷり。とにもかくにも山の様な理不尽さの前にゲームオーバーの嵐です。
決定的なのは、オリジナル版自体の出来の悪さ。推理モノのアドベンチャーゲームにおける理詰めでのアリバイ崩しやトリックの解法はほとんどなく、基本的には勘だけが頼りなので、ぶっちゃけどうしようもありません。頼れるのは専門用語でいうカンピューターだけです←ヘボい。理不尽トラップでの即死も嫌ですが、メモの取り忘れによる手詰まりはプレイヤーが気付くまでこれまたどうしようもなく、いたずらに無駄な時間を過ごしてしまいますっつーか過ごしました。
それでも、全く面白くないかと言われれば、そういうわけでもない。洋ゲーの移植作らしく、固有名詞や会話は日本のゲームにはない独特のテキストで、これがなかなか味わいがあるのです。チャールズ卿とワトソンを除いた登場人物は、船長の「ネルソン」、船員の「ヘンリー」、判事の「カーター」、慈善家の「ウイリアム」、未亡人の「ヘレン」、売春婦(※これはファミコンのゲームです)の「ディジー」、謎の女「テーラー」の7人+被害者の「ブラウン」なんですが、爽やかな初夏の風が心地よい船旅を共にする者同士、彼らはお互いをこう評価し合います。
「ネバダでは彼は能なしとか言われていた様ですね」
「あいつは自分勝手だし、残忍な奴です」
「あっ、あの下品な若い女か。洋服の着方などから分かりますよ」
「卑しい家の生まれですわ。あんな田舎者に何ができるんでしょうね」
「あいつは人間のクズですよ。下品で無教養で信用できない奴ですからね」
「たかが雇われ船員ですしね。彼の様な人の事をお聞きになるなんて侮辱ですわ」
「あれは単なる売女に過ぎません」(※大事な事なので2回言いますがファミコンのゲームです)
なんでしょうか、もう何人か殺人事件が起こってもおかしくないほど差別と偏見と職業蔑視に溢れる船旅です。実際にはひらがなとカタカナで表示されていますが、全て原文ママです。かえってひらがなで「ばいしゅんふ」とか表記される方がアレです。その売春婦のディジーだけはニューオリンズに住んでいる有名な料理人のおばさんが作るオクラスープの評判のおかげで、嫌悪感は比較的抱かれてはおらず、「若くてかわいい売春婦よ」と褒められています。いや、やっぱ褒めてねえ。にも関わらず、ラストで真犯人を突き止めると、全員が入れ替わりやって来ては、「無罪だと思います」だの「これは明らかな正当防衛ですな」だのと一致団結して犯人の味方をしだします。もうどういうことなんだぜ…。それどころか、「この事件を一番恐ろしく感じたのは○○(犯人)自身でしょ。それをあんな風に言うなんて」だの、「そうだ!おまえ、なんて勝手な事を!(中略)それなのに酷いじゃないか」とこちらが批難される有様です。ネットでよく見ますね、こういう掌返し。ネットってこわい(違)。いやー、20年ぶりくらいにコントローラーを床に叩き付けましたネ!いろいろとおしえられることのおおかったゲームだったな…。
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